ぽってりと厚みがあり、丸みを帯びた素朴なフォルムに温かみが感じられる沖縄土産の定番、琉球ガラス。
ひとつひとつ手作業で作っているため同じものが2つとないことも魅力です。
琉球ガラスの歴史は、戦後の物資不足の中、米軍の廃棄したコーラなどの瓶がガラス職人たちの手によって日用品へリサイクルされたことから始まりました。 やがて米軍人が本国へ帰るときのお土産として人気になり、さらには、国内からの観光客が増えたことにより、旅行のお土産としても定着していったのでした。
■選ぶだけで地球にも優しくなれる
奥原硝子製造所を代表する商品は淡いラムネ色のグラス(ペリカンピッチャー)ですが、これって元は何だと思いますか?
実は、廃棄されるはずの窓ガラスなんです。本来ならお金を出して廃棄しなければならない端材などを材料とし、はるか昔から未使用資源を有効活用しているのです。あえて着色せず、無色透明なように見えて淡いブルーの窓ガラスの、素材のままの色を活かして作られています。
ちなみに琥珀色のものは、お酒の一升瓶などに使われる茶色の瓶が原料になっています。
■古くから当たり前にあった、エシカルな概念
「SDGs」や「エシカル」という言葉が生まれるずっと前から廃ガラスを製造し、日用品から芸術作品まで幅広く昇華してきた沖縄。
少し手間がかかったとしても、限りある資源を有効に活用し、ゴミを増やさない事はごくごく当たり前のことでした。
昭和27年の創業から、廃ガラスを使い続けている奥原硝子製造所。工房に27年間勤める上里幸春工場長は、誇らしく話してくれました。
沖縄県工芸士として、2005年に選ばれた上里幸春工場長が案内してくれました。
「廃ガラスは熱した後、冷めて固まるのが早く、テキパキと作業することが出来るので、使い勝手がいいですね。
廃ガラスを使うには洗浄などの手間がありますが、見習いの頃から当たり前にやっていることなので苦ではありません。」
その他、休憩時間に飲んだドリンクの瓶なども水につけておき、洗浄してから使っています。
リサイクルする前の瓶の洗浄は新人ガラス職人の最初の仕事でしたが、今は職人が少なくなり、全員で洗浄から製造まで行っているそうです。きちんと洗浄することで異物の混入がなくなり、あの透明感と丈夫さを出せるのだといいます。
こうして作られた琉球ガラスを購入する人がいなければ、窓ガラスの端材はゴミとして廃棄されてしまいます。
今、お土産品として売られている琉球ガラスは、洗浄の手間がかからない原料ガラスを使用して作られることがほとんどなのだそうですが、廃ガラス由来の琉球ガラスを選ぶことが循環型のサイクルを成り立たせ、美しい地球の未来にも繋がっていくのです。
■手作りだからこそ、愛おしい
日常を優しく彩ってくれる
現在奥原硝子製造所の工房があるのは、那覇の国際通り沿いに位置する「てんぶす那覇」2階。
こちらで伝統的な吹きガラスの制作体験をすることが出来ます。
熱して液状になった6色のガラスを、ストロー状の専用の棒の先につけて息を吹き込み成形していきます。
体験時間は10分ほどで、職人がサポートするので、お子様でも安心して吹きガラス体験をすることができます。琉球ガラスづくりを一通り体験できるため、出来上がった自分の作品により愛着が湧きそうです。
青、水色、黄色、緑、紫など、どれも淡い色合いで素朴ですが、丈夫でシンプルレトロなデザインに長年のファンも多い奥原硝子製造所の琉球ガラス。
お土産品店やセレクトショップで販売されている他、多くの飲食店でも使われています。
琉球ガラスは、様々なシーンに溶け込みながらも、廃ガラス特有の柔らかな光で食卓を彩ります。