2025年、戦後80年という大きな節目を迎えます。
多くの犠牲者を生んだ「沖縄戦」について知り、
命の尊さについて考えることは
沖縄戦の記憶を未来につないでいく大切な一歩です。
本特集では、沖縄戦の基礎知識や
語り継ぐ人のメッセージをはじめ、
映画作品や施設、
ガイドツアーなど、
さまざまな角度から沖縄戦を学ぶことができます。

訪れて学ぶ沖縄戦

沖縄戦とは一体なんだったのか。
なぜ多くの住民が巻き込まれたのか。
そんな疑問をもったら、
沖縄戦を伝える施設に足を運んでみましょう。
工夫を凝らした展示や
今も戦禍の記憶を生々しく残す壕やガマなど、
各施設を巡ることで、
沖縄戦の全体像を捉えることができます。

対馬丸記念館

多くの犠牲者を生んだ「対馬丸事件」
頭と心で考える展示で、
当時の様子を詳しく学べる記念館

「対馬丸事件」を後世へ伝えるために

1944年8月21日、九州へ向け出航した学童疎開船「対馬丸」は、翌22日には米潜水艦に撃沈され、なかでも14歳以下の多くの子どもたちが犠牲となりました。今年で80年を迎えた「対馬丸事件」を後世へ伝えるために建てられた「対馬丸記念館」は、“子どもと戦争”をテーマにした展示が大きな特徴です。建物は船をイメージして設計されており、生々しい展示資料が訪れる人に語りかけてきます。

臨場感あふれる展示に息を呑む

館内には数少ない遺品が大切に保管・展示され、当時を振り返った生存者の証言をはじめ、詳細なスケッチや悲痛な書簡、さらには当時の軍国主義教育の様子を再現した教室、犠牲者の遺影などで構成されており、「対馬丸事件」について時系列で詳しく知ることができます。鹿児島県・悪石島近海で撃沈された対馬丸は、今もなお引き上げられることなく海底に眠っています。

託された平和のバトンをつなぐために

館内の刻銘版には現在判明している全犠牲者の名前が記されており、その数多の名前をみつめていると、いかに多くの人命が一瞬にして失われてしまったのかというやるせない思いを抱かずにはいられません。「対馬丸記念館」は、子どもたちが体験した戦争の残酷さ、そして彼らから手渡された「平和へのバトン」を次の世代につなげるために、今を生きる我々が自分自身に何ができるかを問い直す場所でもあります。

対馬丸記念館

住所:那覇市若狭1-25-37
詳しくはこちら

沖縄県営平和祈念公園・
沖縄県平和祈念資料館

沖縄本島最南端、
かつての激戦地で体感する
沖縄戦の記憶と平和への誓い

沖縄県営平和祈念公園

「鎮魂、祈り、平和」を体感する場所

「沖縄戦終焉の地」として知られる糸満市・摩文仁(まぶに)の丘を南に望み、美しい海岸線に囲まれた「沖縄県営平和祈念公園」は、国内外から多くの人が訪れる沖縄戦跡国定公園です。園内は4つのゾーンに分かれており、沖縄戦で犠牲になった24万人余りの戦没者の氏名を刻印し、慰霊する「平和の礎(いしじ)」や平和の火が灯されている「平和の広場」、沖縄戦の実相が学べる「沖縄県平和祈念資料館」、恒久平和を願う「平和祈念堂」、鎮魂と祈りを捧げる「国立沖縄戦没者墓苑」など、広大な敷地に数多くの施設が含まれています。沖縄戦の記憶の継承と平和への誓いを新たにする場所です。

沖縄県平和祈念資料館

戦前・戦中・戦後を網羅した
充実の展示内容

「沖縄県平和祈念資料館」2階の常設展は、5つの展示室に分かれており、戦前・戦中・戦後の沖縄の歩みを体系的に捉えて、わかりやすく伝えてくれます。展示はまず、近代の沖縄からスタート。沖縄戦以前の島の様子を見学した後で、「鉄の暴風」と呼ばれる激しい戦闘や、犠牲になった人々の様子など、苛烈な沖縄戦の実相を学びます。また、資料館では、戦後の沖縄について詳しく取り上げており、米軍の統治下にあった沖縄の街並みや、復帰運動から本土復帰にいたるまで、膨大な資料を元にした貴重な展示が目の前に広がります。

今の日常とつながっている
「沖縄戦」を考える

実際に使われた銃や当時の水が残る水筒、戦時中に利用されたガマ(洞窟)のジオラマなど、工夫を凝らした展示が特徴的なので、家族で訪れ、子どもと一緒に学ぶのもおすすめです。音声ガイドやタブレットも活用しており、「沖縄戦について知識がない」という方でも気負わずに学べるのも大きな魅力です。ひとつ一つの展示を見つめていると、沖縄戦は決して過去のことではなく、今の日常と地続きであることがわかります。また、資料館1階には、子どもを対象とした「子ども・プロセス展示室」が設けられており、国際理解や平和への思いを深めることができます。

沖縄県営平和祈念公園

住所:糸満市字摩文仁444
TEL: 098-997-2765
詳しくはこちら

沖縄県平和祈念資料館

住所:糸満市字摩文仁614-1
TEL: 098-997-3844
(電話対応時間 8:30~17:00)
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旧海軍司令部壕

生々しい戦禍の記憶を今に残す
旧海軍司令部壕は、
「兵士たちの沖縄戦」を伝える貴重な場所

当時のまま保存された戦争遺跡

豊見城市の高台に建つ「旧海軍司令部壕」は、沖縄戦が激化する中、海軍の指揮が執られた重要な拠点です。最終的に約4,000名が壮絶な最期を遂げた壕内が当時のままで保存されているため、各ポイントを自分の足でたどりながら、「兵士たちの沖縄戦」をリアルに体感できるのが特徴です。まずは隣の「資料館」で、沖縄戦の経緯や海軍司令部が置かれた状況を学んでから入壕することをおすすめします。

浮かび上がる凄絶な壕の光景

1944年に、約5ヶ月かけてすべて人力で掘られた壕内は全長450mにも及びます。現在公開されているのはそのうちの300mで、司令官室をはじめ、約2,900通の電文が発信された信号室や、幹部たちが自決した際の手榴弾の痕が今も残る幕僚室、戦時中、兵士たちであふれ返った下士官室、そして手製の槍を手に出撃した出口など、戦時中の兵士たちを襲った想像を超える辛苦が目の前に迫ってきます。

「自分ごと」として考えるきっかけに

太平洋戦争末期、住民を巻き込んだ苛烈な地上戦が繰り広げられた沖縄では、民間人は言うまでもなく、数多くの軍人・軍属の人々の命も失われました。自分の親や兄弟がこの壕にいたとしたら…そんな視点で見学すると、戦争の悲惨さや平和の尊さを身をもって感じることができます。帰途につく前に、ぜひ敷地内にある「海軍戦没者慰霊之塔」にも立ち寄り、今一度沖縄戦が遺したものについて思いを馳せてみてください。

旧海軍司令部壕 (海軍壕公園)

住所:豊見城市豊見城236
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ひめゆりの塔・
ひめゆり平和祈念資料館

沖縄戦で亡くなった
「ひめゆり学徒」の慰霊碑と
「少女」たちの目を通して知る戦場の悲劇

ひめゆり平和祈念資料館

胸に迫り来る「沖縄戦」の悲劇

太平洋戦争末期に看護要員として戦場に動員された、沖縄師範学校女子部・沖縄県立第一高等女学校の「ひめゆり学徒隊」。彼女たちが巻き込まれた悲惨な沖縄戦の様子を克明に記録し、展示している「ひめゆり平和祈念資料館」は、学徒隊生存者を含む「ひめゆり同窓会」によって設立されました。35年という時の中で2度のリニューアルを経て、今日も訪れる人に戦争の悲惨さ、平和への思いを訴え続けています。

戦争からさらに遠くなった世代へ

「戦争からさらに遠くなった世代へ」というテーマのもと、ひめゆりの生徒たちの学校生活や戦場の様子を、イラストや写真を用いた展示でわかりやすく伝えてくれるのが大きな特徴です。ほかにも、生存者の証言映像や生徒たちが活動した陸軍病院壕の再現模型、犠牲者を悼む鎮魂の部屋などがあり、「ひめゆり学徒隊」の戦争体験を通して沖縄戦の実相を学ぶことができます。

ひめゆりの塔

「ひめゆり学徒」の慰霊碑

「ひめゆりの塔」は、多くの人が犠牲になった「伊原第三外科壕(ごう)跡」のそばに建つ慰霊碑です。沖縄戦で亡くなった沖縄師範学校女子部・沖縄県立第一高等女学校の生徒と教師のために建立されました。資料館の敷地内にあり、毎日多くの人が慰霊に訪れるため献花が絶えません。併設の資料館も合わせて見学することで、不戦の誓いと鎮魂の思いを一層深めることができます。

ひめゆりの塔・
ひめゆり平和祈念資料館

住所:糸満市伊原671-1
詳しくはこちら

糸数アブチラガマ(糸数壕)

戦況とともに姿を変えたガマ(洞窟)の
壮絶な歴史。
ガイドと共に
めぐることで見えてくる沖縄戦

真っ暗なガマの中で当時を追体験する

沖縄本島南部、南城市糸数にある「糸数アブチラガマ」は当初、日本軍の陣地と地域住民の壕を兼ねていましたが、戦場が南下した後は主に「南風原陸軍病院」の分室として利用されました。「ガマ」とは、自然の洞窟やくぼみを指しており、中に入ると、日中でも自分の手も見えない程の漆黒の闇が広がっています。多くの大切な命が失われたこのガマで、一体何が起こったのか。懐中電灯を片手に、当時の様子を追体験することができます。

迫力あるガイドの解説で学びを深める

アブラチガマはガイドを伴って入壕することが定められており、時系列に沿った解説によって、より詳細にガマの実情を知ることができます。かつて病棟として使われたエリアを中心に、井戸やカマドが置かれた炊事場などの生活に関わる場所まで、各スポットを紹介しながら丁寧にガイドが行われるため、約600名の負傷兵の看護にあたった「ひめゆり学徒隊」の苦難などがリアルな情景として広がります。

アブチラガマの実相から平和を考える

アブチラガマは、米軍にその存在を知られた後、空気孔や出入り口から黄燐弾(煙幕を張るための発煙弾)などを投げ込まれ、出口を塞がれるといった数々の攻撃にさらされます。終戦後は、日本軍の呼びかけに応じて奇跡的に生き延びた負傷兵、住民が収容されました。さまざまな変遷を経た壕の姿は今もなお沖縄戦の生々しい記憶と痕跡を留めており、訪れた人に「命(ぬち)どぅ宝」の真の意味を伝えてくれます。

糸数アブチラガマ(糸数壕)

住所 南城市玉城字糸数667-1
(糸数アブチラガマ案内センター)
TEL:098-852-6608
[注意点] ※ガイドを伴わずに入壕することは
できません(要予約)
※ガマの中は撮影禁止
※滑りやすいため運動靴や雨靴を推奨
詳しくはこちら

県内各地には、
ほかにも沖縄戦当時病院として利用されたり、
住民が集団自決をしたことで知られている
ガマや壕が残されています。

掲載日:
2024.12.16

※掲載内容は、掲載日もしくは更新日時点での情報です。最新情報は、ご利用前に各施設などにご確認下さい。

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