歴史情緒あふれる沖縄の城下町「首里」(しゅり)で、300年以上受け継がれる「城間びんがた工房」の時代に合わせた新たな取り組みとは? 16代目・城間栄市(しろまえいいち)さんが考える、これからの紅型と働き方について聞いてみました。
■沖縄の伝統工芸「紅型」とは
紅型は、亜熱帯の風土から生まれた沖縄独特の型紙を用いた染物。色彩豊かな紅型は、琉球王朝時代の王族や貴族の衣装として重宝されました。
型を彫って色を染める「紅型」、藍色で表現する「藍型(エーガタ)」、糊を搾り出して自由に表現する「筒引き」。紅型には3つの技法があります。
その一つの技法である紅型は、着物や帯などで用いられることが多く、和装を嗜む人たち向けの工芸品というイメージが定着していますが、そのほかにも鞄やストール、ハンカチ、扇子など小物類やタペストリーなど、商品も多岐にわたり、沖縄の人にとっても馴染みのある工芸品です。
■城間びんがた工房のあゆみ
首里で300年以上の歴史を持つ「城間びんがた工房」。山川町の自然豊かな緑に囲まれ、静寂に包まれる空間で紅型を制作しています。天気の良い日には、琉球藍で染められた帯が天を仰ぐように干されている景色は城間びんがた工房ならではの景色です。
第2次世界大戦で戦地となった際に、紅型作品や資材を全て焼失してしまう悲劇に見舞われました。
戦後、物資が何もない時代に身の回りにある地図を型紙にしたり、割れたレコードをヘラにしたり、避難生活を送りながらアメリカ人向けにクリスマスカードを作って販売するなど、再び沖縄に紅型の火を灯します。それまで男性しか従事することがなかった紅型工房に女性も参画するようになったのもこの頃からです。
その後、城間びんがたでは紅型では描かれたことのない「海の生き物」を描いたり「和服」の生地や帯に紅型を染めていきます。この取り組みは、多くの紅型工房に影響を与えました。
■激動の時代に革新的な取り組みを続けた工房を
受け継いだ16代目
沖縄から日本が誇る工芸へと昇華した工房を受け継ぐ16代目・城間栄市(しろまえいいち)さん。
「生まれた時から『16代目』と呼ばれ、継ぐことは決まっていました。その前に海外の環境で経験を積みたいと思い、20代でインドネシアに行きました」
幼少時代からの運命について考え、インドネシアで「ろうけつ染め」の工房に従事します。
「かつては『紅型とはこうあるべき』『城間びんがたとは、こうあるべき』という定義が必要な時代もありました。そんななかで飛び込んだインドネシアは、とても柔軟で何にもとらわれない自由な描き方で染織りが作られていた。作り手はもっと柔軟であっていいんだ、と衝撃を受けました。その体験を通じながら伝統を受け継ぐことに対して、肩の荷がおりていったんです」
インドネシアから沖縄へ戻り、城間びんがた工房の16代目として紅型制作に本腰をいれます。
■城間びんがた工房の16代目として
取り組んだふたつのこと
生まれながらにして継ぐことが決まっていた自分よりも紅型に憧れて熱い気持ちで入ってくるスタッフとの熱量にギャップを感じます。
工房運営と制作は全く異なることを把握した栄市さん。「僕自身が仕事に惚れないと工房を営んで行くことは難しい」と悟りました。
そこで「ものづくりを通して沖縄の思いを守る」という経営理念を定め、自分が好きなものに改めて向き合います。そこから「藍型」の継承と「フレキシブルな働き方」を導入しました。
城間びんがた工房の特徴の一つに琉球藍を用いた「藍型」の作品があります。女性が担っていた「城間の琉球藍」を栄市さんは10年かけて琉球藍の藍建を数値化することで、安定した制作環境を整えました。
「琉球藍が好きで、南風が吹くと藍の季節の知らせで『ちむわさわさ〜(心がドキドキ)』します。自然のリズムに任せたものづくりは『受け入れ難いことを受け入れる』ことが必要。コントロールできないところに、藍型の魅力があると思います」
と琉球藍を用いた作品作りに対する思いを語ってくれました。
気温や湿度による調整など、発酵に手間のかかる工程が多く、琉球藍で染めた藍型を作る工房はごく限られています。城間びんがた工房独自のレシピが出来たことで、自然の営みに合わせた琉球藍の「藍型」を未来につないでいくでしょう。
そして時代に即した「選択できる働き方」を導入しました。
「今の工房は『作家として独立を目指す人』や『子育て真っ最中の人』など、多様な背景を持つスタッフで成り立っています。これまでのフルタイムだけではない自由な働き方があってもいいのでは? とスタッフと話しあいました。時短勤務の人もいれば、週3で働く人もいる。副業としてコミットする人がいてもいいと思います」
と語る栄市さん。
城間びんがた工房のあたらしい働き方は、紅型に興味があっても、それぞれの事情であきらめていた人たちに希望の光を照らしています。
■16代目が考える新しい伝統工芸の工房のありかた
「15代目の父からは『こうあるべき』とはいわれず、作りたいものがあれば作ったらいいと。ただ、基本の技術を維持することの大切さは常に言われてきました。戦後当時、工芸は守るものとされていました。訪問着に紅型を用いたり海の生き物を描いたり、色々批判もありましたが、父が時代を作ったことは確かだと思います。技術さえあれば自由にトライできることを学びました」
と語ります。
「今後はインドネシアでの経験を生かして、国境を越えたものづくりがしたいですね。いろんなものを咀嚼しながら、技術だけは大事にして重ねていきたい。『なんでもやっちゃう沖縄』があって、そこから洗練されていく。そんなものづくりをやっていきたい」
そう続ける栄市さんに、あらためて沖縄の魅力と工房のあり方を尋ねると
「紅型を通じて沖縄の豊かさを表現していると感じます。沖縄の豊かさの一つとして挙げられるのは『柔軟性』だと思います。沖縄の人には、ありのままの存在を受け入れる心の豊かさがある。例えば、沖縄の人がタコ漁にいくとき獲りすぎるとタコがいなくなるから『誰かが獲ったら他の人は控える』という暗黙の了解があります。沖縄の豊かな自然との共存は、そんな柔軟性が育んでいる気がします。そんな沖縄の魅力を紅型を通して子供たちに伝えていきたいです」
今後も、城間びんがた工房は技術の鍛錬をかさね沖縄の豊かさを忘れずに、新しいエッセンスを加えながら未来へと受け継がれていくことでしょう。
城間びんがた工房の着物は、那覇市のホテルコレクティブに展示されています。額絵や掛け軸は、沖縄県立博物館内のミュージアムショップや世界遺産に認定された識名園の斜向かいに佇むGalleryはらいそ識名園にてご覧いただけます。
琉球王朝時代から受け継がれる紅型の時代背景や戦後復興に寄与した、城間びんがた工房の歴史を知りながら、さらなる紅型の魅力をお楽しみください。